大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012、北川フラム、篠田昭をめぐるメモ

アートプロジェクト研究テーブル#01 「藤田千彩さんに聞く“大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ”」に参加する下準備として、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012(⇒参照)、北川フラムについてざっくり調べたメモです。

制作協力を申し出てくれた集落も、3年前は2つだったのですが、今回はおよそ50が手を挙げてくれました


コーディネートするにあたって、ゆずれないものが2つありました。ひとつは、世界の一流のアーチストを参加させること。妻有の人たちをアートにひきつけ、全国の人々にこの地域に目を向けさせるには、一流のアーチストの作品が持っているエネルギーがどうしても必要だと思ったからです。そしてもうひとつが、広大な地域に作品をばらまくこと。「もっと作品を集中させて、まわりやすくしなくては」と、6市町村がこぞって反対しましたよ。でも、私は首を縦に振らなかった


市にとって、地方の農山村がたいへん重要な意味を持つ時代になった。自然と深く結びついた地域の固有性を見直すこと。均一で計量可能な空間ではなく、歴史と時間を包含した場所の記憶をつむぎだし生命力を育てていくこと。地方と都市の交感こそが、社会的にも芸術の面でも、大きなテーマとなってきているのです


私は、日本には、どうも市民概念が希薄ではないかと考えてきました。公と私はあるけれど、公共という意識がない。ヨーロッパでは、市民運動がベースになって、パブリック(公共)が育ってきました


一方では、外部や世界を認識する開かれた意識を持ち、また一方では地元の持っているパワーを掘り起こすこと、この二つが地方の町づくりに欠かすことのできない要素だと思います

コラム - 緑のgoo

もともと6市町村が新潟県と連携し、アートによる地域活性化を推進する「越後妻有アートネックレス整備事業」の一環として始められた公共的なプロジェクト。つまり、公共工事にアートが参入していくハード事業のソフト化であり、基本予算は公共事業費から計上される


予算は3億円(3年間)と変わらない。しかも前回は企業からの協賛などを募って総額6億円としたが、「今回は協賛が壊滅状態」なので、実質的に予算は減っている(中略)3億といっても運営費で3分の1は使っちゃいますから、アートに回るお金は約2億。異常です


美術家や建築家を養成するゼミとは別に、美術教育を担っていく教育学部の美術コースのゼミに声をかけた(中略)しかしなぜ「美術教育」なのか。

「いままでぼくが戦略的にやってきたことというのは、要するに文部科学省ルートではなく、国土交通省ルートで美術市場を開拓することだった。だけど単純な話、全国に美術の先生が何人いるかを考えると、何万人単位なわけでしょう。その多くは公募団体に属すか、地元の美術界のボスになるか、当りさわりのない学校教育をやってるわけ。われわれが関わっている美術の世界とはまったく別の世界なんですよ。それをシャッフルするというのがぼくの第2期の課題になってる。とにかく美術に関してはこのままじゃダメだから、子供たちに美術を教える先生から変えていくしかない。そこが美術を支える最大底辺だし、ねらいはそこだと思ってます」


大地の芸術祭」の手本となったドイツ・ミュンスターの彫刻プロジェクトは、10年に1度という長いスパンで地域にアートをなじませていこうとしている。それを考えれば、3年というのはむしろ短すぎる


公共予算は絶対それ以上出ませんからね。余裕があって事業をするんじゃなくて、事業をしたあと3年間かけて借金を返していく。順序が逆だね。そこが破綻型とちゃんとした人との差だと思います

越後妻有アートトリエンナーレ2003…村田真

北川フラム(聞き手:米田綱路)
「効く」美術の可能性――固有の時間と場所のなかで公共性をひらくミッション」、『図書新聞』第2753号(2005年12月10日)


公共事業のなかに入って、ハードをソフトに変えていこうとやってきたわけですが、自治体と折衝するだけではなくて、「公共事業の手先だ」と批判されたり、いろんなことがありました。でも、なんとか続けてやってきた。やっぱり、口で言っているだけでは何も始まらないし、自分にはね返ってくる。何かやってみなければ、可能性も見えない


人口が減ってきているし、もうお祭りもできなくなっている。だから、「何とかお祭りぐらいはしたい」という気分になれないかと思った。それが、「大地の芸術祭」を考えて妻有に入った最初の出発点で


国と県のもともとの狙いは、市町村合併であり、合理化だった(中略)どうしてこのプロジェクトが潰れずに生き残ったかというと、集落に徹底して関わったから


有では、六市町村で百人の議員がいますが、このトリエンナーレには百人全員が反対だった(中略)これがもし美術でなければ、全員は反対しません(中略)美術って無だし、役に立たないからみんな文句を言いやすい。これが美術の持っている基本的な力です。何も生まないから、みんな関われる


美術というのは、か弱いものだから、いろんな人たちが手伝うし、それが美術の持っている力だと思います


美術館のホワイトキューブは、二〇世紀の理想だった(中略)美術館も独立行政法人やなんかでみんな大変だといっているけれど、それは当たり前の話で、いろんなことが均質化してしまったし、お金に換算されて効率化されていく(中略)固有の土地にはまだ固有の時間が流れている。だから、そこに関わっていくことが、美術の可能性なんじゃないかと思う


病んでくるとみずからを語りだすんですね。だから、美術批評ってまったくつまらなくなった


みんな、わかる、わからないで美術をいうでしょう。誰も好き嫌いで言わないんですよ。それをもうちょっと何とかしたいという思いがあります


いまは建築なら建築、美術なら美術でものを考えようとする。でも、それではだめです

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ

新潟県知事あいさつ『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』記録集より


新潟県では時代のパラダイムシフトを見据えた広域地域づくりプロジェクト「ニューにいがた里創プラン」を県内6地域で進めています


前例のない地域づくりへの挑戦であったことから多くの課題や困難に直面しましたが、総合ディレクター始め関係者の大変な努力により達成することができました。また、「こへび隊」という若者を中心としたボランティア組織の活躍は目ざましく、世代や立場を越えた様々な協働や交流の原動力となり、地域づくりに多くの示唆を与えてくれました

日本の国際美術展(一)大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ

■北川フラム「次は精神の火だ」
 『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)


地元の一部の有識者の世界では極めて鋭い批判にさらされている(中略)議会では批判が多い


1番多いのは地元の参加がない。2番目はアートは町おこしになじみがない。3番目はお金がかかりすぎる。4番目はアーティストの誰々にいくら払ったかわからないので情報公開せよ


■加藤種男「記憶に残る体験が地域を動かす」
 『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)


地域振興や地域の経済の発展を錦の御旗にしてきた「公共事業」が神通力を失ってきたことはだれの目にもはっきり見えてきた


やめられない公共事業を「アート」事業に転用することで軟着陸を図ろうと いうのが今回の企画者たちの意図だった。


その際「自然環境と里山の生活」を今回のアートプロジェクトの共通のテーマとして、地域の魅力を発掘し、その新たな開花をアートに託し、結果として地域を活性化するのが彼らの戦略だった。公共事業の転用に自然と生活の両方を提案したことが重要である


■岡田幹治「離散型の可能性と課題」
 『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』図録(越後妻有大地の芸術祭実行委員会、2001年)


自然との関わり、環境問題との関わりを重視しているわけですが、同時にそれを運営していくためには、例えば車がないと成り立たない。まさしく離散型、分散型の芸術祭ですから。


自然にかえる、自然に包まれるといいながら、実は文明的な道具を使わないと成り立たないという意味で、この芸術祭はある種の矛盾をはらんでいる


越後妻有アートトリエンナーレの独自性
―自然との共生を目指す(=脱都会美術)
―分散型芸術祭
里山の暮らしの発見
―現在から将来にかけての環境問題について考え直す機会


国際美術展の形式の違い
―文化事業と公共事業
―国際交流と地域貢献
―招待制と公募制

日本の国際美術展(三)大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ

越後妻有はもはやアートである必然性はプラットフォームとしての自由(というフィクション)に求められる


北川氏は妻有だけでなく、水都大阪を橋下知事から守り切ったことを引き合いに出しながら「公的なアート事業は批判を一つ一つ乗り越えてこそ」という態度を強調していた。完全に勝者として振舞える状況を手に入れたとも言える。


今のコミュニティアートの構造が孕む問題点についてもっと壇上で議論しても良かったのだけど、そこを客席から @hashimon が質問したのに対し、北川氏は不快感を前面に出して拒否。今日の一番の見所はそこだった。


北川氏の話を要約すると、作家や学生や地域の人たちが皆で「経済的敗者の地域の廃棄」という現実を精神的にソフトランディングさせていく過程を「自由なプラットフォームとしてのアート」を用いてプロデュースし、それはアーティストのためにもなるし、何も問題はない、と聞こえた。


それを言い切った北川氏は勝者に相応しい扱いを受けるべきだと感じ、強く拍手を贈りつつも、同時に、勝者も樋口先生の提示した問題点から逃れられるわけではないと感じざるを得なかったのだった

地域コミュニティとアート - 現代美術室

平成16年から18年度までの建設投資と消費支出による経済波及効果合計は初期投資・消費支出を含めて56億8100万円とし、誘発就業者数効果は587人分としている。


またこの10年間で大地の芸術祭に係わる道路改良や公園整備等の国・県の事業費総額は約87億4000万円に達している

十日町新聞: 第3回大地の芸術祭の県内経済波及は56億円

第四回大地の芸術祭のプレイベントとして昨年8月1日から同月末までの31日間にわたり実施された「2008夏・越後妻有大地の祭り」の総括報告書がこのほど、大地の芸術祭実行委員会から示された。


それによると、来訪者数は前年実施の「20007夏・大地の祭り」より6870人増と約3割増加し、全体で約30410人となった

十日町新聞: 2008夏・大地の祭り来訪者数は前年比3割増に

平成16年度から同18年の3年間に及ぶ第3回の事業費の内訳は歳入が約6億7000万円に対して、歳出が約6億5400万円と報告された。


このうち歳入面では企業などからの寄付金が41件から約2億1000万円と予算規模を倍近く上回ったものの、パスポート販売収入は約3億円の予算に対し、1億4300万円と半分にも満たず、大幅に下回った。


歳出は運営事業費として3年間の委託料が約5億4400万円で、このうち アートフロントギャラリーには約5億3500万円の委託料となっている。総括では第4回に向けては実施する方向としたものの、運営形態については市町村財政が逼迫しいる折り、公費依存からの脱却の方針が示された

十日町新聞: <大地の芸術祭総括> 次回開催は公費依存からの脱却を

実行委員長は関口芳史・十日町市長、副委員長は上村憲司・津南町長、名誉実行委員長は泉田裕彦新潟県知事、総合プロデューサーは福武總一郎・ベネッセホールディング会長、総合ディレクターは北川フラム・アートフロントギャラリー主宰

十日町新聞: オーストラリアハウスの再生など 第5回大地の芸術祭企画発表会

お問い合わせは十日町地域振興局企画振興部

http://www.pref.niigata.lg.jp/tokamachi_kikaku/1324418520947.html

5件6自治体が「文化芸術の力により、市民参加で地域の活性化に取り組み、特に顕著な成果をあげている」自治体として表彰された


十日町市津南町新潟県


「越後妻有アートネックレス整備事業」は、平成6年に新潟県が始めた新たな広域地域づくりプロジェクト「ニューにいがた里創プラン」に基づき、越後妻有地域全体の振興を図るため、県と6市町村の連携のもとに実施された地域プロジェクトであり、市町村合併後は、十日町市津南町で引き続き事業を推進している。


その中核的事業として「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ)」を企画し、まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」、越後松之山「森の学校」キョロロ、光の館、越後妻有交流館「キナーレ」という4つの交流拠点施設がアーティストの参画のもとに整備された

kalons:現代アートのレビューポータル

キナーレは越後妻有地域の自然環境や風土などをテーマとした作品を展開、レストラン&カフェやショップを併設、妻有の多様な資源や大地の芸術祭の魅力を凝縮した新しいミュージアムに生まれ変わる

十日町新聞: キナーレは現代アート美術館に 関口市長が定例会見で発表

篠田昭(しのだ あきら)
新潟市

1948年新潟市生まれ。上智大学国語学部卒業。新潟日報社編集局学芸部長兼編集委員論説委員編集委員などを経て、2002年に新潟市長選に立候補し初当選。近隣14市町村との合併をまとめあげ、2007年4月本州日本海側で初の政令指定都市移行を実現。2006年再選。

http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/mokuroku/book/5358/author.htm

大自然とクリエイターの発想力を融合させ、「田園文化圏」をつくるという試みは、空家や廃校、田園地帯にアートを仕掛け、地域文化を掘り起こす「越後妻有アートトリエンナーレ」(00年〜)や、「直島スタンダード」(01年〜)に引き継がれた。これらのプロジェクトにより新しい建物を作らなくても地域再生は可能であることが証明され、アートポリスの手法は前時代的なものになった

http://www.amazon.co.jp/dp/4767806445

日本の「まち」はなぜか20年ぐらいで建て替えがなされています。構造が木造からさらに堅牢な鉄骨、鉄筋コンクリートになってもこのサイクルはほとんど変わっていないのが現状です。
戦後2回目の建て替え時期を迎え、単なる建て替えから、都市再開発のプログラムまで組み込まれ始めたこの頃、1988年にアートポリス事業が始まりました。


アートポリス事業は、後世に残り得る優れた建築物を造り、質の高い生活環境を創造するとともに、地域文化の向上を図り、世界への情報発信基地「熊本」を目指すことを目的としています。
人々の環境デザインに対する関心を高めるとともに、地方の主体性と創意工夫により、都市文化並びに建築文化の向上を図り、地域活性化に貢献することを目指しています。

くまもとアートポリスとは? / 熊本県

名称は細川護熙磯崎新との会談で決定した

くまもとアートポリス - Wikipedia

熊本アートポリスの時に、その限られた手段の系の中で磯崎が取りえた戦略は、実 は今回の「海市」と全く同じく「マスタープランをつくらないこと」であった。個々 のプロジェクトは各建築家に任せ、彼自身はその選択をしただけという、従来の面的 な都市計画に対する点的な都市計画であった。またそれは法制都市計画に対する磯崎 のゲリラ戦であった


磯崎は法的な都市計画が掲げるこのようなマスタープランの行き着く先を正確に見極めた上でそれを取り外しているのであり(中略)おそらく磯崎は熊本アートポリスのような消極的な都市計画には満 足しなかったはずである

磯崎新の(ための)墓

佐々木:
基本的にはブランディングで重要なところは地域住民が誇りに思えるようなものでなければダメだということです。誇りに思えるということは、自分たちが慣れ親しんでいる、使っている、それから食べ物であれば食べているというものです。そういうものをまず地域の人たちが中心になってきちんとやっていくことが重要だと思います。


前田:
特産物と、もう少し生活に近い文化・環境ブランドとの関係は、どのように考えたら良いのでしょうか。


佐々木:
特産物は消費者向けのものでしょうし、文化、環境は地元の人たちが主体ですから、地元住民向けだと思います。それらを統合した形でどうやっていくか地域ブランド論としての課題だと思います

佐々木一成さんに聞く

社会資本の投入が、人口の増加と規模的な成長を追っていた今までとは、全く違ってこなければならない


この議論をすすめるには、基本的な問題意識の共有が欠かせない。


第一は、街や村の居住環境は、街や村自身が場所に応じたルールで守るという地域主権の原則。


第二は、今や切れ目のない都市田園社会となっており、ゆえに都市と農村を一体的に捉える広域単位の総合的な地域計画が欠かせないこと。


第三は近隣コミュニティ・レベルの人と人、人と環境との関係を新たに結びなおす必要があること、である

学芸セミナー・都市計画の新たな挑戦

前田:
先生は「まちづくり市民事業」を中心にお書きいただくのですが、それはどういうもので、どんな方に、何を訴えたいのかを、是非、お話いただきたいのですが。


佐藤:
この10年、まあそういうことでみると、専門家がたとえば地域のまちづくりの実績のなかから、(住民と)一緒にですね、事業を組み立てるということができてきた。


前だったら、公共がしかけていました。事業という面からいうと(住民は)受け身だったわけです。だけどもそうではなくて、公共も限界にきて、ちょっと後ろに引き気味になったときに、地権者や街の人たちが、いままでまちづくりを仕掛けてきたものを、どうやって物の世界に事業として作り上げていくのか。


その人たちが事業をやるときには、いろんな人を巻き込んで事業化してくるということが見えてきた。だから本物のまちづくりがやっとここから始まるのかな、という感じがしています。


だからそれをまちづくり市民事業と言っている訳ですし、そのときに専門家と街に思いを持っている人たちが組むことによって、そして行政がそれを支援することによって、色々と面白い事業ができてくるし、そういうものを通して、前の本で書いた都市像が明確になっていく。そういうフローだと思います

佐藤 滋さんからのメッセージ

今、何が起こっているかというと、今までのやり方でやってきたお金の流し方が、パイプがどんどん詰まってしまって巧くいかないということだと思います。だから全体的に活力が失せてきたということがあるのですが、逆にですね、今までの形ではないやり方でお金を流そうという政治的な意思はかなり強くなってきています。しかも今までのやり方でなければダメだという中央の強い締め付けみたいなものはどんどん弱くなってきています。


ですから、地方の方が頑張って、自ら新しいことを考えて「こういうことがやりたい」「そのためのお金と組織がいるんだ」と言えば、そういうことが実現できる可能性が非常に大きくなっていると私は思っています

蓑原 敬からのメッセージ

新潟市美術館(同市中央区、北川フラム館長)に展示中の土製作品にカビが発生している可能性が高いことが分かった。美術専門家は「水分を含んだ作品を美術館内に持ち込むのは非常識」と指摘。館内で制作された巨大な作品だけに運び出すのも難しく、新潟市などでつくる実行委員会と作家らは31日、対応を協議している


「水気のある作品なのでカビが生える可能性は予測できた。だが、夜間は空調を調節する要員を確保できず、外気を取り入れて換気する方法を取った」と説明(中略)同館はパブロ・ピカソなどの作品も展示。実行委は来館者が増える週末を前に、問題の作品を撤去するか、カバーで覆うなどの対応策を話し合う


水気のある作品を展示すること自体、常識では考えられない。特に土はカビや雑菌が発生する可能性があり危険。他の作品に雑菌が付いて腐敗につながりかねない。可能な限り現状保存するのが美術館の使命で、その根幹を揺るがす問題だ

新潟市美術館:展示作品ジメジメ、カビ発生?夜間空調せず - 毎日jp(毎日新聞)

僕にとって最初のレジデンスは越後妻有アートトリエンナーレだった(中略)あまりにも広すぎて他の作家の制作状況を見ることが難しかった。また交流も難しかった(中略)多くの作家は(雪解け以降となる)春から追い込み作業に入る。行き違いの形になりあまり交流が出来なかった


バンカートは期間が決まっていたし、期間中の60パーセント以上スタジオを使う条件があったから(中略)個々の制作が充分に出来るスペースがありつつ、すぐ近くで他の作家が作業している雰囲気が伝わってくる(中略)常に見られている、緊張した感覚があった。(中略)そして様々なジャンルの人が来ていた(中略)適度な距離感とスタジオを共有している感じがバンカートの特徴かもしれない


どちらもレジデンスには違いがない(中略)レジデンスとは時間、身体感覚、経験、体験を現地にて肌に染み込ませるようなものではないだろうか。


妻有は特に顕著だった。普段作っている作品を持って行けないのだから。あまりにも環境が異なるから。相当頑固か、鈍感か、思い込みが強いかでなければあのような場所では今までの自分のスタイルが通用しない事が分かる。今まで通りやっても自分がつまらないし、通用しない。作家を変える力がある。


バンカートの影響は人だ。自然じゃない。周りの人から影響を受けることが重要だった。(中略)だから時間の許す限りスタジオ内をパトロールした。人付き合いは苦手だけれど、なるたけ交流しようとした。


レジデンスは元々パブリックアートの一環のプログラムだと思うが、そうであればアーティストは制作現場をもらうことで別の利益を生み出す存在だと言える(中略)妻有は作品があるから鑑賞者が来て、その結果地元に活気が生まれる。バンカートは作家の育成が重要視されているように思う。であるならば時間をかけて社会に対して返還するべきではなかろうか。その方法はアーティストに委ねられている

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